さらば!ガンディーN川先生!
〜 いつからボウズでしたっけ??〜
”月日は百代の過客にして、行きかふ年も又、旅人ナリ..舟の上に生涯を浮べ、馬の口とらえて噛まれてイタイイタイ...”(ココらへんでは良くあるコトです。しかしなんのこっちゃ?)
「いやぁ〜..今年こそホント危ないんですよ..転勤確実ですね..」そう本人が言い続けて3年が経過..ついにホントに転勤となりました。すでに浦河に赴任して6年もの歳月が流れていたのでありました。うーん、6年も居たの..?その年月の永さに驚くと同時に、”フ”とあることもアタマに浮かんだのでありました..「いつからボウズでしたっけ??」
さて、先生の歴史をひもといていくと...
平成8年ごろに浦河に赴任、当初はバドミントン部顧問として細々とテニス協会に参加。その後テニス部顧問となり堂々とテニスに参加。この6年間で日高管内はもとより、帯広方面でも各種のテニス大会に参加し優秀な成績をオサメテきたのでありました..。
一方、赴任当初はひかえめなオボッチャマ風で制服を着れば高校生でも違和感がなかったのですが、いつしか社会にモマレ、テニス協会の悪に染まり、本来の性格(?)が前面に押し出されてきたのか、ブショウヒゲ+ボウズ..と凶暴な風貌へと変身をとげております。たしかサラサラの髪で”アラレちゃん”みたいなメガネをかけていたと思うのですが、今の風貌の印象が強くてよく思い出せないのだ。うん、たしかこんな感じ..
あと、先生といえば”マハトマ・ガンディー”です。ウチのページを見た生徒から、廊下ですれ違いざまに「あっ!マハトマ・ガンディーだ!」といわれたそうで、歴史にウトイ現代の高校生に違った意味で教養をつけてしまったのでありました。
どう?似てるでしょ?特にアタマのかたちとかハナとか..。しかし、いつからボウズだったのかなぁ..。
先生のりりしい後頭部。”フラッシュいらず”といわれております。みなさん、是非ご利用ください。
浦河町テニス協会ホームページ −さらば!ガンディー!−こうしてN川先生は、浦河に髪の毛を残して去っていくのでありました。まぁ、こんな先生ですが(いったいどんな先生だというんだ??)、根釧地方のみなさん、よろしくお願いします。あっ、あと、ほとんど触れませんでしたけどテニスがウマイんですよ。テニスしている人は声をかけてあげてくださいネ。
では、サラバじゃ!(..とか言って、十勝リーグなんかですぐ会うことになるんだろうナ)
ひとまずバイバイなのだ。(ウーム..我ながらヒドイ企画だったのだ。)